聞いた話ですが、例えば「馬鹿」と「阿呆」は東京と大阪では意味が違うそうです。
方言に限らず、言葉の意味やニュアンスが人によって異なることは多いです。
そういう場合は、聞き手と話し手が感じたり想像したりで調整されることが多いですが、時に話し合ってすり合わせたりもあります。
そういうのってどちらか一方に合わせるのも悪くはありませんが、一方に負担が集中しないことは大事です。
ただ、逆に間を取れば良いとも限らないです。
当然、原則は「正確さ」です。
「表現」という括りなら、言葉も態度も表情も同じ枠です。
私の友達の旦那さんは、所謂、仏頂面系です。
素人には読み取れませんが、友達はかなり表情が読み取れています。
私は子供の頃から、誤解させるのは発信側の責任だから気を付けなさいと、親から言われています。
でも、聞き間違いは自分の責任だとも。
結局、何らかの齟齬があった時には、まずは自分にできることを考えなさいということです。
私は最近は時々ですが、朝とか笑顔の練習をします。
私にも見られたい笑顔のモデルがあります。
最初の頃は、イメージした表情になっていません。
どの筋肉を働かせればどんな笑顔に見えるとか、試行錯誤です。
言葉も表情も、受け取られてナンボです。
f874bさんはクールを装っている訳ではなく、表現はされているとのこと。
同じ努力なら、成果のある方が良くないですか?
思ったことが、伝わっていないのも受け取れないのも、どちらも寂しいです。
例えば練習期間は言葉で補うとして、100%は必要ないとしてもいくらかは彼の基準に近づけることも良いと思います。
彼は彼で、ちゃんと表情の違いを読み取れるように努力は必要かと思います。
例えばライブに行けば、座っているより立って跳ねてる方がより楽しく感じると思いませんか?
私は子供の頃、誕生日プレゼントなどは親の選んだ物でした。
特に父は一回考えさせる物が多かったです。
子供ながらに、大袈裟に喜ぶ姿を見せていたと思っています。
でもワクワク感を出しつつちゃんと「何これ♪?」と親も巻き込んでいます。
喜んでいる私の姿を見て喜んでいる親を見るのが私は好きです。
一応、Win-Winです。
リラックスは、何も努力しないこととは限らないと思っています。
最初はちょっと自己演出も必要だと思いますが、特にポジティブな方向ならわざとくらい表情豊かにすると、自分もポジティブになってくるのは感じられると思います。
無理が過剰ならお勧めはしませんが、私は大体いつも女優のつもりくらいになっています。